面白半分

ブログの内容は個人の感想、バイアス満載。異論しか出てこないようなことを書いてます。あと、文章を書く練習中。

みんなまだ食べログなんて見てるの?

たびたび炎上するでおなじみの食べログですが、またバズってるようです。みなさん、食べログってまだ使ってるんですね。もう使うのやめませんか?私の周りの賢い人々はもう全くと言っていいほど使ってないです(あ、私が賢いというわけではない)。個人的な食べログ排除後の結論的にはツテを駆使して地元の詳しい人に紹介してもらう、が一番正解を引きやすいです。

togetter.com

確かに町を歩けば一生かかっても食いきれないほどの飲食店が溢れ、限られた時間の中で質の高い食事をしたいというのは理解できますし、あれだけの情報が一か所にまとまっているというのは便利です。

でもね、盲目的にスコアが高い=よい店、うん、ここにしよう!と短絡してる人多すぎませんかね。その証拠にスコアは高い店にお客さんが集中して行列し、平均的なスコアであればまぁそこまで込み合ったりするわけでもない。でも私なんかが昔から通っている、入りにくいけどすごくおいしい店とかはスコアは平均的ですが下手に食べロガーに発見されたりせず、スコアだけ高い店よりはるかに満足度の高い食事が未だに楽しめたりする。

要は、食事を楽しみに行ってるのではなくてその店に行く・行ったということに価値を見出していていたり、人が美味しいというものを食って美味しかった気になったいるだなのかなぁとも思うわけです。「情報を食ってる」ってやつです。

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情報を食ってる (C)河合単・久部緑郎/小学館

私も過去に食べログからレビューを削除されたりしたことがあります。

【ボッタクリ注意】二度と行きたくない店 | 東坡 (トンポー) - 原宿 - 面白半分

二度と行きたくない店 | 赤ちゃん - 神戸三宮 - 面白半分

 

まぁやっぱ食べログも店から掲載断られるわけにいかないし、というのも理解する一方、自由にに点数がつけられない、感想を書けないレビューって意味あんのか?と思いそれ以降ほぼ食べログは見なくなりました。また、旅行で大都市以外に行ったときなどはレビューの件数が十分でないことが多く、スコアもレビューも正直参考になるレベルに達していないことが多々あり、それであるが故に、地元の人たちに愛されていたお店が全国ネットでひとたび紹介されると東京から来る人がそこだけに集中するなんて言うのもよくある話で。

こうもいびつな構造になってしまうと、私なんかは人が集中する所こそ避けたいという思いもあり、似たような感覚の持ち主の友人や、友人の友人、友人の親なども駆使してお店を紹介してもらったりすることを実践しています。

逆に私は過去名古屋や大阪に仕事で3年ずつくらい住んだことがあり、当時上司に連れ出されたり地元の女の子と恋愛したりとまぁいろいろと試行錯誤してきた経験もあり。通っていた美味しいお店は今でも知る人ぞ知る店としてやっぱり健在だったりするので、旅先で食事の場所選びに困っていたら喜んで情報提供していますし、「食べログや旅行ガイドでは見つけられなかった、本当によかった」と言っていただいたりもして、過去住んで愛してやまない土地に愛着を持ってもらえて誠に喜ばしい限りです。

ということで、食べログがもはや信用できないツールと化してしまっていることは自明の理として受け入れ、食べログを起点として様々なサイトを巡った挙句に導き出した店が結局休みでしたなんてのはよくある話。人に聞くのは面倒かもしれないけど、高スコアの店で食べログ中毒の蒙昧な連中と一緒に行列に並ぶ愚に耐えられぬのであれば、ここはひとつ人との直接的なつながりを見直してみては、と思う次第です。

私たちはなぜダークソウルに惹き込まれるのか

ダークソウル(Dark Souls)というビデオゲームをご存知だろうか。恥ずかしながら私は去年初めてこのゲームを手に取り、それ以来どっぷりとはまり込み、ひいてはこんなブログの記事まで起こそうとしている。
ダークソウルはゲームであるので、ゲームとして人それぞれ色々な魅力を語れるであろうけれども、ここで私が書こうと思うのはストーリーテリングについてだ(ゲームの難易度や操作感についてはとりあえず対象外)。

ゲームのストーリーといえば、まぁ世界支配を目論む魔王をやっつけるであるとか、とりあえず宇宙人が攻めてくるから追い払うとか、そういうシンプルなものから現代的な問題を扱うようなものまで、シナリオの重要性なんて今更私のような人間が語るようなものでもない。

私がダークソウルのストーリーテリングで「すげー」と思ったのは、実はこのダークソウル、RPGなのにストーリーはあってないようなもので、ストーリーは知らなくてもゲームを十分楽しめるし、ゲームを楽しんでいる間はストーリーはさして気にならず、終わってみると何となくその世界観を受け入れた気になってしまい、前回のプレイ中は埋められなかったストーリーのピースを探そうと、何度も何度もプレイしたくなってしまうというところだ。

例えばゲーム内のキャラクターは主人公である自分に様々な助言やアイテムを与えてくれたりする一方、ゲームの進行によって突然死亡したり気が狂って襲いかかってきたりする。また特定の条件を満たせばキャラクター毎のイベントが発生したりアイテムを売ってもらえるようになったりもする。
このようなゲーム内キャラクターのイベントや人間模様にいては、ゲーム内では明確には言及されず、割と唐突に発生する(伏線は当然あるのだけど)。発生すればゲームの高難易度も手伝ってその場は必死に対応してイベントは過ぎ去っていくため、後になって「あれは何だったのか、確かめたい」という好奇心が次から次へと湧いてくるのだ。

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何かと面倒な男ロートレク。生かすも殺すもプレイヤー次第

だが唐突に感じるNPCイベントも、あるようで無いストーリーもチグハグでバラバラなわけではなく、背後には一貫した世界観が存在しているためプレイヤーに完全な混乱をもたらすわけでは無い。むしろ背後にある深淵な世界観をもっと知りたい、教えてくれ、と私たちをさらにダークソウルの沼に引きずり込んでいく。全くもって本当にすごい。

私たちはこのようなストーリーテリングに出会うのは初めてでは無い。そう、エヴァガンダム。あとはビックリマン。もっと色々、宗教説話とか。正直エヴァの沼でも経験したことだけど、深いところまで追いかけても結局この手のものは、いち消費者として世界観を解明できるわけでもないので、まぁその世界観の断片を精一杯楽しむのが一周回って正しい態度かなぁと思う。
それでもこういう手法で自分でも何か作ってみたいなぁとも思うけれども。

勉強法

本を読むのが好きです(心に余裕があれば)。昔は書棚に入れて飾っておくというのもやってたんですが、一度2つの部屋を借りて行き来して生活するような経験をした時に、「本は本当に必要なもの以外持っとく必要はないな」と実感しました。自己満に過ぎないし、本という物体自体は昔と違ってAmazonとかで探せばすぐに出てきますし。古書店巡り自体は悪くないですが。
上記の結論に至り買っては処分、買っては処分、必要そうなものは残す、を約8年。処分されずに残る本の傾向をみて、わしはどんだけ勉強にコンプレックスがあるのだろうと正直笑っちまいました

東山魁夷展

例えば素晴らしい風景をみたときに、はっと心を掴まれて、この感覚を記憶に刻み込みたいと思ってもそれは不可能で
いまはスマホですぐに写真も撮れるけど、それは我々が受けた印象が記録されるのではなくてその風景を光学的に記録するだけで
この印象を自分のもにしたい、感動を自分のものにしたい、と思ったときに人は絵を描くのではないかなと思った
とすると絵に残っているのは描いた人の感動や絵に描いてあるものを自分のものにしたいという思いであって
その絵から、あーこの人はこういうことに強い思いがあるのかな、と逆算していったときに、やっとその絵に描いてあるものが実際の風景として浮かび上がってきて
あーこういう風景いいよね、おれも写真に撮ったりしたことあるけど、うまくいかなかったんだ、とか、そんな風なことを考えた

愛国奴


社会的な疎外者がどんな心理プロセスで色々なものにはまり込んで行くかに興味の中心があり。一番興味あるのは新興宗教とマルチなんだけど。
まぁ疎外者じゃなくても会社でなんの疑いもなく働いちゃうとか、新興宗教と大差ないけど。
この小説は右翼活動版。雨宮処凛もこんな感じだった?
ポイントはやっぱ安易さ、分かりやすさ、現在のストレスからの解放もしくは快楽、居場所。
これらのどれかに該当するメッセージ打つと何かしら引っかかるんだろうな、と。

ピーターの法則


人は何故老害化するのか。この本によれば人は本来有能なのだが、昇進や異動によって無能化するらしい。故に組織には無能が溢れ、無能化してない者によって仕事がまわっている、と。
では己が無能化・老害化しないための処方箋はというと、昇進や異動を断るのではなく、その能力が無いことを巧みに演出しろ、と。
事務処理や数字が苦手であることをそれとなく演出する、デスクの上を常に散乱させて整理できない人にみせかける等。
んー、まぁ、それも手だわな

コンビニ人間


仮に世の中に「こちら側」と「あちら側」があるとすると、この作品は明らかにこちら側のお話で。
オリコンのランキングに出てくる音楽以外の音楽の存在を知らない人や学生就職ランキングとか無垢に見れるとかには無縁の本かなと。てかそんな人は文学とか認知すらしてないか。
そういう要素を濃縮した「常識人」と、常識人目線を獲得してしまっているが故に苦しむ「非常識人」と、常識の獲得に苦しむ「非常識人」のお話。